強くなりたかったら、自分より圧倒的に強い人の前に立つのがいい。脳で、身体で、全てで「影響を受ける」と自分の使っていなかった能力が目を覚ます。調子に乗りやすい僕は、意識的に「自分より秀でた人たち」の情報に触れるようにしている。いつも「1年生」でいられるように。・・・・・・・二重作拓也
闘魂経営塾の遊馬です。
今回は、最近とても刺激を受けているこの方の文章をご紹介します。
■二重作拓也 挌闘技ドクター/スポーツドクター。富家病院リハビリテーション科医師、格闘技医学会代表、スポーツ安全指導推進機構代表。1973年生まれ、福岡県北九州市出身。福岡県立東筑高校、高知医科大学医学部卒業。8歳より松濤館空手を始め、高校で実戦空手養秀会2段位を取得、USAオープントーナメント高校生代表となる。研修医時代に極真空手城南大会優勝、福島県大会優勝、全日本ウェイト制大会出場。リングドクター、チームドクターの経験とスポーツ医学の臨床経験から「格闘技医学」を提唱。専門誌『Fight&Life』では10年にわたり連載を担当、「強さの根拠」を共有する「ファイトロジーツアー」は世界各国で開催されている。『Dr.Fの挌闘技医学』『Dr.F 格闘技の運動学』(DVDシリーズ)『Fightology(英語版/スペイン語版)』『プリンスの言葉』『Words Of Prince(英語版)』など著作多数。
二重作さんは、コピーライターの糸井重里さんにも支持されていて、糸井さんの「ほぼ日刊」にも対談が掲載されており、その格闘医学的見地は非常に興味深いです。
冒頭の文章は、格闘技やラグビーなどのコンタクトスポーツをやっていた方は経験があるかもしれません。
スポーツでなくとも、広くは囲碁や将棋なども対人競技と考えると、あるのだとは思います。
私も小学生の頃から中高とずっと柔道をやっていて、強い相手と立ち向かう時の恐怖感と同時に、対峙した時の言い難い高揚感があったのを思い出しました。
戦っているうちに、自分の能力以上の何かが少しだけ出てくるような感じ。
闘い終わると自分が少し上達したような感覚が心地よかったり。
最近までやっていたキックボクシングでも、そんな経験があります。
強い相手と対峙した時の隙のなさ、緊張感。何発喰らうかわからないけど、せめて一発くらいは返してやらないと気が済まない、と恐怖感に打ち勝って闘えた後は、やはりちょっとだけ強くなったような気がしていました。
よくスポーツは上手い人とやる方が圧倒的に上手くなると言います。確かにその通り。
上手い人とやればその人の良いところを真似るってこともありますが、何よりプラスアルファの何かアドレナリンのような物が出ますよね。
二重作さん、こんな文章もありました。
「スポーツ根性論、精神論の限界」 格闘技ドクターが語る、本当の「強さ」とは
思い出すなぁ。柔道部の合宿で丘の頂上までうさぎ跳びを何度もさせられて、腿がパンパンで歩けなくなって。
脚が極端に短くなったのは、絶対にあのうさぎ跳びのせいだと確信しています。うさぎ跳び反対!
でも当時は、人より長時間練習しないと強くなれないと言う、ある種強迫観念で練習していました。
それが当たり前のように。
でもこれ、今でも脈々と連鎖してますよね。
娘の高校ですら、朝練、昼練、放課後と、練習時間だけが美徳で真実みたいな。。
娘は柔道ではなく、ダンスでしたが。
一般社会でも、企業に成果主義が徐々に浸透し、長時間働く事が美徳でなくなる時代に、まだこの奇妙な風習は消えないのかもしれません。
最後に冒頭の文章に戻ります。この文の最後の言葉、
“いつも「1年生」でいられるように。” これがすごく好きですねー。
いくつになっても、自分より優れた人と対峙して、その人から刺激を受け、少しだけ成長する。
スポーツでも仕事でも、今日より上手くなりたい、もっとよく知りたい、もっと強くなりたいと、いつも思っていたいものですね。